2026.08.27

高齢入居者への苦情が続いたら|「迷惑行為」で解除する前に確かめる一つの分岐

約3,200文字読了目安 6分

「上の階の物音で眠れない」「廊下にゴミ袋が積まれている」「夜中に出て行って朝まで戻らない」。苦情の相手は80代の単身入居者。ここで最初に決めるべきは、退去を求めるかどうかではありません。目の前で起きているのが「行為」なのか「状態」なのかを先に見分けることです。

迷惑行為で解除できる根拠はどこにあるか

賃借人は、民法第616条が準用する第594条第1項により、「契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い、その物の使用及び収益をしなければならない」義務を負います。これが用法遵守義務です。集合住宅の一室は他の入居者の平穏を害さずに使うことが性質上含まれると解され、近隣に迷惑をかける使い方はこの義務の違反になり得ます。

公益財団法人不動産流通推進センターの法律相談も、契約書に個別の記載がなくても、再三の改善要求にもかかわらず改善されない場合は用法遵守義務違反を理由に解除できると整理しています(民法第541条・第594条・第616条)。判断は受忍限度を超えるか否かによるとされ、軽微な生活音は含まれません。

標準契約書に「騒音」という条項はない

契約書を開いても、根拠条項は見つかりません。国土交通省の賃貸住宅標準契約書(平成30年3月版)で禁止行為を定めるのは第8条第3項と別表第1ですが、音について書かれているのは第四号「大音量でテレビ、ステレオ等の操作、ピアノ等の演奏を行うこと」だけ。足音、生活音、大声、深夜の物音は列挙されていません。

一方、廊下やゴミは別の場所に根拠があります。別表第2(第8条第4項関係)第一号は「階段、廊下等の共用部分に物品を置くこと」を、貸主の書面による承諾なく行ってはならない行為としています。共用部にゴミや家財が出ている場合は、こちらに正面から当たります。

別表第3第二号は「1か月以上継続して本物件を留守にすること」を通知義務の対象としています。通知が無いまま姿が見えない場合は、迷惑行為とは別の問題です。

解除には催告のほかに「継続困難」という要件がある

第10条は、解除の要件を義務の種類で書き分けます。賃料支払義務の違反は第1項で、相当の期間を定めた催告を経れば解除できます。ところが第8条各項の違反は第2項に置かれ、催告に加えて「当該義務違反により本契約を継続することが困難であると認められるに至ったとき」という要件が重ねられています。

無催告で解除できるのは、第10条第4項が挙げる別表第1第六号から第八号――いずれも反社会的勢力に関する行為に限られます。騒音もゴミも、この例外には入りません。賃料滞納の手順は高齢入居者の家賃滞納にどう対応するかで整理しましたが、迷惑行為はさらに一段ハードルが高いと考えておくのが安全です。

放置もまた、貸主の責任になり得る

では受け流せばよいのか。そうではありません。貸主は民法第601条により賃借物を使用収益させる義務を負い、前掲の不動産流通推進センターは、迷惑行為が繰り返される場合に貸主にはその行為を排除すべき義務があり、対応しなければ不作為自体が不法行為となる場合があるとしています。

貸主は、即座の解除にも放置にも寄せられない狭い場所に立たされます。

解除に進む前に確かめる分岐:原因は行為か、状態か

相手が高齢者の場合、原因が本人の選択ではなく心身の状態である確率は無視できません。警察庁「令和7年における行方不明者届受理等の状況」(令和8年6月公表)によると、行方不明者数は8万486人で、原因・動機のうち認知症は1万7,345人(構成比21.6%)。年齢層別では70歳代の62.1%、80歳以上の77.3%を認知症が占めています。

つまり、高齢入居者の「説明のつかない行動」の背景に判断能力の低下がある確率は、年齢が上がるほど高い。見分けずに催告を重ねれば、理解されないまま改善されない記録だけが積み上がります。それは解除の材料になる前に、対応が遅れた記録にもなり得ます。

同資料では、所在が確認された認知症行方不明者の94.8%が届出受理から3日以内である一方、受理から15日以降は死亡確認の割合が高くなります。気づく早さが結果を分けます。

行為なのか状態なのかの見分けは医学的判断ではなく、あくまで対応の順序を決めるための実務上の確認です。解除・明渡しに進む場合は、書面を出す前に弁護士にご相談ください。

判断能力の低下が疑われるときの窓口は決まっている

介護保険法第115条の45第2項第六号は、市町村の地域支援事業として「保健医療及び福祉に関する専門的知識を有する者による認知症の早期における症状の悪化の防止のための支援その他の認知症である又はその疑いのある被保険者に対する総合的な支援を行う事業」を定めます。これが認知症総合支援事業で、認知症初期集中支援チームの根拠です。

実際の入口は地域包括支援センターです。貸主・管理会社からの相談も受け付け、本人や家族への訪問につなぎます。ただし貸主が本人に代わって介護保険を申請することはできません。できるのは、いつ何が起きたかを具体的に伝えることまでです。本人の異変の見分け方は入居者に認知症が疑われたらで扱っています。

やってはいけないことと、残すべき記録

踏み外しやすいのは、手続きを飛ばして事実上の制裁に出ることです。鍵の交換、玄関への貼り紙、無断での立入り、家財の搬出は、相手に非があっても自力救済として認められません。他の入居者に相手の氏名や病名を伝えることも避けます。

代わりに残すのは次の3つです。

共用部の状況が悪化している場合は、ごみ屋敷とセルフネグレクトの兆候と重なります。

まとめ:順番を間違えなければ、どちらにも進める

  1. 根拠は用法遵守義務。標準契約書の別表に一般的な騒音条項はなく、共用部の物品は別表第2の承諾事項です
  2. 解除は二重要件。第10条第2項は催告に加えて「継続が困難と認められるに至った」ことを求めます
  3. 放置も責任になり得る。何もしないことが不法行為と評価される場面があります
  4. 先に分岐を確かめる。70歳代の行方不明の62.1%は認知症が原因です。行為か状態かで進む道が変わります

状態であれば、必要なのは退去ではなく気づく仕組みです。電気の使用状況からの見守りは、苦情が来る前に生活の変化を拾う手段のひとつ。自分の物件に何が欠けているかは、60秒のリスク診断でも確認できます。

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