共用部で高齢入居者が転倒したら大家の責任か|民法717条の「瑕疵」と免責されない立場
共用の階段で入居者が足を滑らせた。廊下で転んで骨折し、家族から「手すりがなかったからだ」と言われている。ここで最初に押さえるべきは、責任の有無を決めるのが「大家が注意していたかどうか」ではない、という点です。
件数は少ない。それでも構えが変わる理由
東京消防庁「救急搬送データからみる高齢者の事故」によると、令和6年中に管内で「ころぶ」事故により救急搬送された高齢者は73,500人。最多は「住宅等居住場所」の42,180人で、うち屋内が39,053人と9割以上を占めます。差し引くと屋外は約3,100人で、敷地内・共用部での転倒は少数です。
それでも構えが変わるのは、同データで約4割が入院を要する中等症以上と診断されているうえ、室内の転倒と違って共用部の転倒は建物そのものの状態が争点になるからです。
問われるのは「過失」ではなく「瑕疵」
根拠条文は民法第717条第1項です。「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない」と定めています。
ここが民法第709条の一般的な不法行為と決定的に違います。709条は「故意又は過失によって」と書きますが、717条の要件は瑕疵です。大家がどれだけ注意していたかではなく、建物が備えるべき安全性を欠いていたかで決まります。
しかも構造は二段構えです。一段目の占有者には「必要な注意をしたとき」という免責の余地があるのに対し、二段目の所有者には同様の免責規定が置かれていません。ここから所有者の責任は無過失責任と解されており、公益社団法人全日本不動産協会の法律相談でも、所有者は免責されないと整理されています。
自主管理では、逃げ道になる一段目がない
見落とされやすいのが、共用部の「占有者」は誰かという問いです。専有部分は入居者が占有していますが、共用の階段・廊下・外灯を事実上支配しているのは貸主側です。同協会のQ&Aは、賃貸管理業者についても物件管理業務まで受託している場合には占有者に該当する可能性があるとしています。
管理を委託していれば、まず管理業者が一段目に立ち、そこで免責が認められて初めて所有者に移ります。ところが自主管理では占有者と所有者が同じ人です。一段目で「必要な注意をした」と認められても、そのまま無過失責任の二段目へ落ちるだけで、免責の主張が実質的に機能しません。
なお民法第717条第3項は、損害の原因について他に責任を負う者がいるとき、その者への求償権を認めています。施工不良が原因なら施工者への求償は残ります。
加齢による転倒は、それだけでは瑕疵にならない
無過失責任と聞くと「転べば必ず払う」と読みたくなりますが、それは誤りです。責任の入口はあくまで瑕疵の存在で、瑕疵がなければ717条は発動しません。
瑕疵とは、その物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、建築時点の「設置の瑕疵」と、その後の老朽化による「保存の瑕疵」に分けて考えられます。手すりが腐って抜けた、踏板が朽ちていた、外灯が長期間切れたままだった、といった事情は保存の瑕疵に傾きます。逆に、通常の建物として問題のない階段で加齢による筋力低下やふらつきから転倒したのであれば、それは建物の瑕疵ではなく利用者側の事情です。
加えて民法第722条第2項は、被害者に過失があったときは、裁判所はこれを考慮して損害賠償の額を定めることができると定めています(過失相殺)。ただし高齢者の身体能力をどこまで「過失」と評価するかは事案ごとの判断で、当然に減額されるわけではありません。
瑕疵の有無・過失相殺の程度は個別の事実関係で大きく変わります。賠償請求を受けている場合は、示談や支払いの前に必ず弁護士にご相談ください。
「瑕疵はなかった」と言える材料は点検記録しかない
事故後に貸主が主張できるのは、突き詰めれば「この建物は通常有すべき安全性を備えていた」の一点です。それを裏づけられるのは、事故前に残した記録だけです。
参考になるのが、令和3年4月に東京都八王子市の木造共同住宅で起きた屋外階段の崩落事故を受けた国土交通省の対応です。同省は再発防止として「木造の屋外階段等の防腐措置等ガイドライン」(令和4年1月)を取りまとめ、設計時における防腐措置等の内容の明確化、工事監理・完了検査での確認の確保とあわせて、適切な維持管理の確保を柱に掲げました(令和4年3月には事例集も公表)。求められているのは壊れてから直すことではなく、点検の周期と方法を先に決めて実行することです。
- 点検の記録:屋外階段・手すり・踏板・外灯の状態を日付と写真で残す。木造の屋外階段は腐食が内部から進むため、外観だけで判断しない
- 入居者の申し出の記録:「電球が切れている」「手すりがぐらつく」という連絡と対応日をセットで残す。申し出を受けながら放置した記録は、逆に保存の瑕疵を裏づけます
- 保険の確認:建物の欠陥に起因する賠償に備える施設賠償責任保険の加入有無と補償範囲。内容は商品ごとに異なるため証券で確認します
入居者から手すりの設置を求められた場合の扱いは、介護保険の住宅改修と承諾書の実務で整理しています。
責任を負わない転倒のほうが、実は重い
ここまでは共用部の話です。居室内はどうか。賃貸人は使用収益に必要な修繕義務を負いますが(民法第606条第1項)、通常の状態の居室で加齢により転んだ場合、貸主が賠償責任を問われる場面は限られます。入居者の側が加害者になるときと同じく、責任の所在は場面で入れ替わります。
ところが、責任が生じにくいこの場面のほうが損失は大きくなり得ます。前掲データで住宅等居住場所の「ころぶ」事故が多い場所は居室・寝室等29,783人、玄関・勝手口等3,900人、廊下・縁側・通路2,653人。単身高齢者が居室で転倒して動けなくなれば、発見までの時間がそのまま重症化と入院・退去・原状回復につながります。
共用部の事故は点検で確率を下げるもの、居室内の事故は気づくまでの時間を短くする仕組みで被害を小さくするもの。性質が違うため、両方を別々に用意する必要があります。
まとめ:責任の話は、事故の前にしか動かせない
- 問われるのは瑕疵。過失ではなく、通常有すべき安全性を欠いていたかで判断されます
- 所有者に免責規定はない。自主管理では一段目の免責が機能しません
- 加齢による転倒は瑕疵ではない。ただし手すりの腐食・外灯切れの放置は保存の瑕疵に傾きます
- 主張の材料は事故前の記録だけ。点検記録・申し出への対応記録・保険証券の3点を先に整えます
事故当日にできるのは、この3点の答え合わせにすぎません。自分の物件で何が欠けているかは、60秒のリスク診断でも確認できます。